ディープ・スロート
//スローター

ep.01 - Let well enough alone.

 黄金時代も世界大戦により焼失し、人類が凋落の節目を迎えていた、西暦四二六九年。『空中要塞アルストグラン』こと、アルストグラン連邦共和国。かつての名をオーストラリアといったその大陸は、今や高度一五〇〇メートルほどの空を漂う空中都市(エアロポリス)となっていた。
 海路からは侵入不可能で、空路からの侵入も難しい。そんな性質から、気付けば要塞とさえ呼ばれるようになったアルストグラン連邦共和国。この国を支えているのが大型で永久機関のエンジン……――だとされていた。そして永久機関の大型エンジンは、未知のエネルギー物質によって可能となったと伝えられている。
 大型エンジンを動かす動力源は、まだ未解明な部分が多く残されているエネルギー物質『アバロセレン』。ここ二、三〇年ほどの歴史しかないその物質であり、そもそも『物質なのか光子なのか、はたまた全く別の存在なのか』ということも明らかになっていないのだが。しかしそれは今やアルストグランのエネルギーの全てを賄っている状況だ。電力を生むタービンを動かしているのはアバロセレンであり、車や飛行機を動かすエンジンの動力源にもなっている。そしてアバロセレンは核爆弾以上の威力を持つ兵器にもなり得るとも言われていた。アバロセレンという存在の性質は全くと言っていいほど解明されていない状態ではあるのだが、それが何に使えるのかは分かっていたのだ。
 謎めいた恐ろしい存在であるアバロセレンは、しかし全ての夢を叶えてくれるであろう素晴らしい代物でもある。少なくとも、アルストグラン連邦共和国に住まう多くの者はそう考えていた。
 しかし、アバロセレンがもたらす恩恵はそれを使用することにより発生するリスクとはとても釣り合っていないらしい。原子力発電に用いられるウランよりもタチが悪いと、高名な学者であるペルモンド・バルロッツィ氏は過去に述べているとか、なんとか。
 事実、アバロセレンを用いた発電所は他国でとんでもない事故を引き起こしていた。たしか、あれは彼是一〇年ほど前の話。何らかの理由によって暴走したアバロセレンのエネルギーが、北米合衆国の州ひとつを丸ごと消し飛ばしている。
 とはいえあれは他国の話だし、過去のことだ。
 アルストグラン連邦共和国に住まう多くの国民は、こう信じている。今は技術も進歩して安全になっているに違いない、と。政府のプロパガンダが狙ったとおりに浸透した結果だろう。実際には当時と何も状況は変わっておらず、技術も進歩らしい進歩はしていないし。なんなら、なぜ北米合衆国であのような事故が発生したのか、その理由さえも解明されていないのだが。
「シンシアー、大丈夫かー?」
 そういうわけで、秩序の根幹をなすインフラストラクチャーの全てをすっかりアバロセレンに頼りきっているのが、現在のアルストグラン連邦共和国の様相である。その影響により生活水準は幾分か上昇したものの、貧富の格差は如実に開き、社会秩序のほうは年々不安定さが増してきている。収入を得ようにも働き口がない貧困層における犯罪率の上昇、富裕層の子息子女を狙う誘拐事件の発生など、目下の課題は山積みになっていた。
 しかし、そんな空中要塞アルストグランの闇から目を逸らし、あくまでも国民に忠誠を誓い、法に尽くす愚かな男が居た。
「朝飯が出来たがー……食べられそうか?」
 男の名前は、ニール・アーチャー。警察機関アルストグラン連邦捜査局シドニー支局に勤務する、いち特別捜査官である。以前は首都キャンベラ特別地域にある本部局の犯罪捜査指令部、重大犯罪対策課に所属していたが、上層部のご機嫌ないし詰まらぬプライドを損ねたために左遷。左遷先のシドニー支局では更なる冷遇を受け、新設されたばかりの特命課に押し込められる羽目となった。挙句、相棒は扱いに困る厄介な女……。
 そんなこんなですっかり神経をすり減らす毎日を送っているニールには現在、シンシア・クーパーという名の婚約者がいるのだが。
「うん、なんとかね。……起き上がるのに手を貸してくれない?」
 大きなお腹を抱えたシンシアは、ゆっくりとベッドから上体を起こす。ニールは彼女に手を差し出し、ベッドから降りる手助けをした。
 そうして起き上がるシンシアは、寝ぐせのついたサラサラの黒髪を揺らしながら、ニールの肩を借りてよろよろと廊下を歩く。再来週には臨月を迎える彼女は今、落ち着いたかと思われた悪阻(つわり)の再来に苦しめられていた。
「あなたは仕事で忙しいだろうに。ごめんなさいね……」
 気まずそうな顔をするシンシアは、そんなことを言う。彼女をリビングに誘導しながら、ニールは仕事の愚痴を漏らした。
「ああ、本当に仕事が忙しい。俺の予定じゃ今頃、貯えた有給を一気に消化して君に付き添っているはずだったってのに。土日もロクに休めやしない。まるで理解の無い職場だよ」
 そう言いながらニールはドアを開け、リビングに入る。それから机の横に置かれた椅子を少し引くと、そこにシンシアを座らせた。
 それからニールは一度キッチンに行き、用意した朝食をプレートに乗せ、リビングに運んでくる。そうして持ってきた朝食を手早くシンシアの前に並べつつ、職場では決して洩らせぬ愚痴をドバドバと放流していく。
「……こういうとき、仕事一筋で生きてきたひとが上司だと融通がきかなくて困るよ。副支局長リリー・フォスター、ありゃ強敵さ。それに相棒のコールドウェルも、家庭とは無縁なぶっきらぼうだし」
「あれ? あなた、前に相棒は二人の子を持つパパさん捜査官だって言ってなかったっけ?」
「それは前の相棒、クルーゾーだよ。二年前の異動で変わってさ。今の相棒は、頭のネジがぶっ飛んでいるクレイジーなやつで。すぐ撃ちたがる。毎度、あいつを止めるのに必死で……」
 ガラス板の食卓に並んでいるのは、ほうれん草のバターチーズ炒め。それと小さめのオムレツに、プレーンヨーグルト、オレンジジュース。まあ、短時間で作った割には、それなりの量を用意できただろう。
 華僑の血を引くシンシアは慣れた手つきで箸を握ると、用意された食事に手を付けていく。彼女は非の打ちどころがない綺麗な箸使いで、摘み上げたほうれん草を口に運んだ。それから彼女は口をもぐもぐと動かしながら、壁に掛けられたアナログ時計を指差す。
 ニールは淡褐色の目で時計を見た。時刻は午前七時五十七分を指し示している。ニールは驚いたように目を見開くと、慌てだした。
「あぁっと、シンシア! 昼飯は冷蔵庫の中に入れておいた。食べる時には電子レンジで温めてくれ。ラップを掛けたまま、五〇〇ワットで一分半。それで夕飯はいつも通り、料理人の(ちん)さんが来てくれるんだよな?」
 シンシアは首を縦に振り、こくりと頷く。
 実を言うとシンシアは、調理という行為をしたことがない。何故なら彼女は、グループ会社を経営する資産家一族の娘であるからだ。彼女にとって食事は料理人が用意してくれるものであり、親が作ってくれるものでも、また自分で作るものでもない。だからニールはこうして毎朝、早起きをしては彼女の分まで朝食を作るのだ。
 しかしニールは、それを苦には感じてはいない。ニールの母親はそれなりに有名なホテルの料理人で、彼自身も幼いころからそんな母親に料理の腕を仕込まれているからだ。それに彼はキッチンに立つことが大好き。仕事よりもやりがいを感じるぐらいだ。
 自分が作る料理をシンシアが喜んで食べてくれるなら。ニールにとって、それ以上の喜びはなかった。
「それじゃ、俺は行く。夜の七時過ぎぐらいには帰ってくるつもりでいるけど、急用が入ったらごめんな。それと、何かあったら連絡をくれ」
 ニールはそう言うとスーツの上着を着て、リュックサックを背負う。手入れが行き届いているとは言えない革靴を履き、駐車場へと駆け出して行った。
「……やべぇっ、遅刻する……!!」





 連邦捜査局シドニー支局、四階。『特命課』と書かれたステッカーが貼られている扉を、ニールは恐る恐る開ける。それから彼はそこそこの声量で挨拶をしながら、しかし静かにオフィスの中へ入っていった。
「おはよーございまーす」
 元は物置だった部屋を改修して作られた、デスクが二つしか入らない狭いオフィス。そこには、コンクリート打ちっ放しの壁に設置されたダーツボードに向かってダーツを投げる、黒スーツをクールに着こなすブロンドの女が居る。強くうねる天然ブロンドの髪をゆるっと後ろでまとめている女のその左頬には、ライオンに引っ掻かれたような古傷が刻まれていた。
 ニールは足音を殺してオフィスに入り、静かに扉を閉める。そんなニールに、ブロンドの女は一瞥もくれない。彼女の鋭い緑色の眼光は、ダーツボードだけを睨んでいた。その彼女に、ニールは声を掛ける。
「おい、アレックス。無視すんなよ」
 しかし彼女はニールに無視を決め込む。そして彼女はダーツの矢を構え、それをダーツボード目掛けて投じるのだった。
「…………」
 一投目。ダーツボードの中心に矢は綺麗に突き刺さる。
 二投目。一投目が刺さっている場所の、数ミリ下に矢は刺さった。
 三投目。矢は大きく左に逸れた場所に突き刺さる。
 四投目。矢はダーツボードから大きく右に外れ、コンクリートの壁に当たる。かこーん……と切ない音を立てたダーツの矢は、安物の赤い絨毯が敷かれたコンクリートの床に落ちた。
 そして、五投目。
「……うるせぇんだよ。集中が削がれるだろうが」
 投じられたダーツの矢は、ニールの左頬すれすれを通り抜けていく。過ぎて行ったダーツはニールの後ろ、閉じられた扉に深く刺さった。
 ニールは振り返り、扉に深く突き刺さったダーツの矢を見る。それから彼は危険すぎる矢を放った女を凝視した。そしてニールは言う。
「おい、アレックス。俺を殺す気か?」
 すると“アレックス”と呼ばれた女はこう答えた。
「なんなら、アンタの脳味噌を撃ち抜こうか?」
「お前、本当にイカれてるな。……はぁ、俺の知ってるアレクサンダー・コルトはどこに消えちまったんだか。パトリック・ラーナーに毒されちまって、今となりゃ狂人に……」
「今のアタシは、アレクサンドラ・コールドウェルだ。死んだ女の名は忘れろ」
 六投目となるダーツの矢が、ニールの額を狙っている。ニールは即座に両手を上げ、降参の意を示した。
「わぁーかったよ、アレックス。今のお前は特務機関WACE(ワース)から派遣された超一流のエージェント。死神ことアレクサンドラ・コールドウェルだ」
 切れ味鋭い目でニールを睨むコールドウェルは、六投目のダーツを投げる。投じられた六投目のダーツは、一投目のダーツのおしりに、見事に突き刺さった。
 ニールは嫌味ったらしい笑顔を浮かべ、賞賛の拍手をコールドウェルに送る。すると不機嫌そうな顔をするコールドウェルはこう言った。
「死神は、余計だ」
 死神というのは、連邦捜査局の捜査官たちがコールドウェルにつけた仇名である。少しでも敵意を見せた犯人を彼女が容赦なく射殺しようとすることから、この仇名が生まれたのだ。
 そしてコールドウェルは、連邦捜査局の人間ではない。彼女は『特務機関WACE』と呼ばれる謎の組織――少なくとも、アルストグラン連邦共和国の国家機関ではない――から派遣されたエージェントだ。外部の人間ということもあり、彼女は連邦捜査局の捜査官たちからはあまり好かれていなかったりもする。
 そんなコールドウェルと、ニールは現在バディを組まされている。
「よっ、死神アレクサンドラ!」
「…………」
 コールドウェルと共に特命課へと回された事件を捜査しながら、彼女の監視をする。それこそがシドニー支局長からニールに与えられた任務であり、ニールが特命課に異動させられた理由でもあり、特命課が急きょ設立された全容でもあった。
 しかし。この特命課というのは存外に暇な部署である。
 事件は滅多に回ってこない。仮に回ってきたとしても、それはモンスターが出たとか、宇宙人が人を攫ったとか、現実から大きく乖離した事件ばかりだ。それに実際に起こってなどいない、自作自演であることも多い。なので大半は無視をされるか、コールドケース扱いとなり終結する。
 だからこそ、ニールは思うのだ。こんな仕事はもう嫌だ、と。
 どうせ仕事が来ないなら待機している意味もないのだし、妊婦である婚約者のために俺に有給をくれたって別にいいじゃないか。
「なんだよ、アレックス」
「……いいや、別に。何でもねぇけど?」
 ニールは切実に願っていた。本部に戻りたいと。
 重大犯罪対策課に戻りたい。宇宙人を追うよりも、野放しにされている殺人鬼を捕まえたい。存在しないモンスターを探すよりも、誘拐された子供をひとりでも多く救いたい。
 それなのに。それなのに、どうして。
 ああ、居もしない神よ。あなたはどうして、こんなにも理不尽なんだ……――!
「あのなぁ、アレックス。死神と呼ばれたくないなら、犯人を射殺しようとするな。生け捕りを心がけて動け。分かったか?」
 ニールはコールドウェルに対してそう言う。すると彼女はニールの言葉を鼻で笑ってみせた。一線を越えた犯罪者どもに生きる価値はないとでも、コールドウェルの目は言いたげだ。
 ニールはそんなコールドウェルから目を逸らす。彼は自分のデスクの上に荷物を置くと、おんぼろの椅子にどかっと腰を下ろした。ニールの体重に古びた椅子は軋み、キィーっという大袈裟な悲鳴をあげる。
 すると、そのとき。特命課の扉が、ニールとコールドウェル以外の人間の手によりノックされた。これは二週間ぶりの出来事である。
「アーチャー、居るかしら?」
 がちゃり。ドアノブが捻られ、扉が開く。顔を出したのは、溌剌とした笑顔を浮かべる黒髪ショートヘアーの中年女性――このシドニー支局のトップである、ノエミ・セディージョ支局長――だった。
 椅子に座ったばかりのニールは慌てて立ち上がり、支局長の前に立つ。そんな畏まらなくていいわよ。支局長はそう言いながら、ニールに一封のファイルを手渡した。
「はい、これ。新しい事件。頼んだわ」
 青い厚紙に挟まれ、ファイリングされた資料。ニールはそれを受け取ると、違和感から少しだけ首を傾げる。今までは薄っぺらいファイル――大した情報も書かれていない、馬鹿げたサイエンスフィクションまがいの珍事件――しか渡されてこなかったというのに、今回はそのファイルが分厚かったからだ。
 すると支局長はコールドウェルの名前も呼ぶ。
「エージェント・コールドウェル。あなたも目を通して頂戴。今回ばかりは、特務機関WACEに協力をお願いしたいのよ。あなたからサー・アーサーに口をきいてもらえないかしら」
 普段よりも目つきを悪くさせるコールドウェルは、支局長に疑いを抱くような目を向ける。それからコールドウェルはニールの横に並ぶと、ニールの手元にある分厚いファイルの中身を覗き見た。
 そしてニールは支局長に問い掛ける。「それで、支局長。今回の事件というのは……」
「ファイルの中に載ってる。まずはそれを見て」
 支局長はそう言いながら、渡したファイルを指差した。
 ニールはまず支局長の顔色を窺い見る。先ほどまで溌剌とした笑顔を浮かべていた支局長の表情が、このとき暗く沈んでいることに気付いたからだ。それに支局長の目には涙がうっすらと浮かんでおり、彼女の目元は少しだけ赤みを帯びている。マスカラも、ほんの少しだけ滲んでいた。
 今度の事件は一体、何だっていうんだ? ニールは不審に思いながらも、ファイルをそっと開く。ニールがファイルを開くと、支局長も口を開いた。
「この一ヶ月の間に、ASIの局員が立て続けに殺された。今のところ被害者は全員、ASIの中でもアバロセレン犯罪対策部に所属している人間に被害が集中している模様。他の部署の人間が狙われたという情報は、今のところ先方からは出てきていないわ。また、民間人の被害も確認されていない」
「……ASIの局員が?」
 ASIとは、アルストグラン秘密情報局の略称。その名の通り、諜報活動および収集した情報の分析を行う国の情報機関である。
 そこの局員が、それも特定の部署の人間だけが、立て続けに殺されている。となると、それは国家の安全に関わる重大事件という扱いになり、連邦捜査局の管轄となるのにも納得がいく。
 しかし、ニールは眉を顰めていた。これはたった二人しかいない特命課に回すべき事件なのだろうかと、そこが疑問に思えて仕方無かったのだ。すると支局長が言う。
「この事件は昨日まで、キャンベラの本部、それも最高の精鋭とやらが集う国家保安部が捜査していた。けれども進展はなし。これ以上、国家保安部に任せていても解決が見込めないと判断した長官が、この特命課を指名した。……連邦捜査局には限界があるけど、特務機関WACEの権限があれば、ってね」
「特務機関WACEってのは、あんたらが思ってるほど万能じゃないんですよ。なんせ、うちの上官(サー)は何を考えてんのかが分からない人でしてねぇ。あんまり期待してもらっちゃあ困るんですが」
 コールドウェルはだるそうに、そんな本音を洩らす。しかしその直後、彼女の表情が変わった。
 ニールがファイルのページをめくり、ある被害者に関する記述を開く。そこに書かれていた名前を見るなり、コールドウェルは焦りを見せた。そして彼女は支局長に詰め寄る。
「ラーナー次長が殺されたってのは、本当なのか?」
 コールドウェルのその言葉に、支局長は憂い気に目を伏せるという反応を見せる。その拍子に支局長の目からは涙が零れ、頬を伝っていった。それから支局長は言う。
「……そこに書いてあることは、何もかも事実。あなたたち特務機関WACEと深い関わりを持っていた、アバロセレン犯罪対策部次長パトリック・ラーナー。彼は昨晩、殺害されたのよ。ばらばらにされて、住宅密集地域のゴミ捨て場に遺棄された姿で発見された」
 パトリック・ラーナー次長。その名前を聞くなり、ニールの顔も青ざめていった。つい数分前、ニールはその名を口にしたばかりだったからだ。
 ニールは、次長の名が書かれたファイルを真っ白になった頭で漠然と見つめる。その彼の横で、コールドウェルは言った。
「……一昨日から、次長と連絡が取れなくなっていたんだ。まさかとは思ってたが、そのまさかが現実に起こっていたとは……」
 ラーナー次長という人物は、多かれ少なかれニールに影響を及ぼした人物である。彼が推薦状を書いてくれたからこそ、ニールは連邦捜査局の特別捜査官になれたようなものだからだ。
 しかし、良い思い出ばかりとは限らない。むしろニールとラーナー次長の間に良い感情は無かった。お互いに思うところがあるような、そういった関係性だろう。
 けれども、今……ニールの頭の中は真っ白になった。涙が出るほどではないが、少なからず彼の死が悲しいと感じられたのだ。
「それじゃっ、ファイルは渡したから。……リッキーを、宜しく頼んだわよ」
 支局長はそう言うと、特命課のオフィスを立ち去る。
 かくして特命課は、久々に始動したのだ。


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