EQPのセオリー

04

「……“アルフテニアランドの悲劇”の真相、ねぇ……」
 客の姿はまばらで誰も来ていないようにも思える、朝一番。狭い檻の中に動物たちを閉じ込めるだなんて、という理由からまったく人気の無い公営動物園にて。その園で一番の人気者であるとされるホワイトライオンの展示スペースの前を箒で掃除しながら、アレクサンダーはふとそんなことを呟く。アルフテニアランドの悲劇。それはコルト探偵事務所が受けた依頼に関する話だった。
 アルフテニアランドの悲劇。それはそのままの意味で、アルフテニアランド自治州という場所で起きた悲劇的な事件を意味する。別名、六.二四。それはアバロセレン発電所が引き起こした事故により、町がひとつ消えてしまった事件だ。
 当時のアルフテニアランド自治州では、アバロセレンを用いた発電の実用化が試みられていたそうだ。発電所の詳しい情報は公開されていないためによく分かっていないが、アバロセレンになんらかの影響を与えて熱エネルギーを得て、その熱エネルギーで水を沸かし、蒸気タービンを回して電気を生み出していたのではないか、と言われている。当初は、ウランを使った原子力発電とは違い、アバロセレンは核分裂を引き起こさないため放射能は出さず、理論上では安全だとされていたその技術。だがアバロセレンは、放射能とは別次元のある問題を抱えていた。
 アバロセレンが高いエネルギーをもったとき。その時に何が引き起こされるかが人間には予測できなかったのだ。当時も、そして今も。
 アバロセレンというものはそもそも、原子も質量も持たず、だがそこに実在しているという、それまで誰も見たことがないような、予想すらもしていなかった異次元の物質なのだ。発見されてから五〇年近くは経過している今でさえも、アバロセレンというものが何なのか、どこで生まれたものなのか、何が原因で誕生したものなのかが全く解明されていない。発見者だとされるペルモンド・バルロッツィ高位技師官僚でさえも、アバロセレンという存在をよく理解していなかったと言われているほどだ。
 そして“アルフテニアランドの悲劇”と今に伝えられるものは、当時、誰も予想だにしていなかった大事故だった。
「……三〇年以上も前の事件だろ。それも、他国で起きた事件……」
 あの日。アルフテニアランド自治州の主要都市、ボストンの空には、青白く光輝く大きな穴が開いた。
時空の歪み、略してSOD。そんな風に呼ばれているその穴は、出現とともに町を呑みこみ、一帯を更地にした。そして穴は町の全てを呑み込み終えると、次に更地となった場所に新たな住民を呼び寄せた。
それは醜い容貌をしている、理性など持たない雑食のモンスター。そんな化け物が、天上に開いた大きな穴から次々と落ちてきたのだ。
 後の研究で地球上にない遺伝子を持つ生命体だと分かったモンスターたちは、今なおアルフテニアランドの地を蹂躙していると伝え聞く。そして空に開いた穴は未だ健在で、今も変わらず異界から招かれざる客を召喚し続けているらしい……――
 アレクサンダーは小学生のときに、学校の授業でそう習った記憶がある。アルフテニアランドの悲劇というのはつまり、教科書に載っているほど有名な大昔の事件なのだ。
「うーん」
 けれども“アルフテニアランドの悲劇”という事件は、計画的犯行により引き起こされたテロ行為だったと現在では断定されている。元凶となったアバロセレン発電所に勤めていた作業員のうちの一人が、国に対して抱えていた不満をぶちまけるためにあのような悲惨な事件を引き起こしたとされていた。
犯人とされている男の名前はシルスウォッド・アーサー・エルトル。その男は、当時北米合衆国上院議員として活動していた極右政治家アーサー・エルトルの息子として名が知られており、また彼自身も不祥事に関わった――ある軍需企業に彼が在籍していた頃、その企業で行われていた非人道的な実験の隠蔽に彼が関わったとされている――として糾弾されていた背景があるらしい。そして彼はペルモンド・バルロッツィの友人でもあったらしい。
シルスウォッド・アーサー・エルトル。その男の名前は、ペルモンド・バルロッツィ高位技師官僚に並んで有名であり、彼の名前を知らぬ人間は世界に居ないだろうとも言われていた。
そして此度の依頼人は、ユニの叔父であり、エリーヌの夫であり、テロリストとされた男シルスウォッド・アーサー・エルトルの息子であるレーニン・エルトル氏だった。
「事件じゃない、あれは事故だ。……って言われてもねぇ」
 レーニン氏は幼いころに“アルフテニアランドの悲劇”と遭遇し、故郷を失ったうえに父親も奪われた過去を持つ。事故後は姉のテレーザと共にアルストグラン連邦共和国に移り住み、そこで彼は姉と共に自分の父親について調べ続けていたそうだ。あれは父が仕組んだ事件などではない、全ては不運な事故だったんだ、ということだけを信じて。
 けれども、志を共にしていた姉のテレーザは約十五年前に落雷事故に遭い、死去。以降、レーニン氏の生活は姉が遺した双子の姉妹ユンとユニが中心となり、彼はいつからか亡き父親について調べることをやめていたという。
 しかし。そんな彼のもとに最近、差出人不明の一通の手紙が届いたらしい。その手紙には、あの日の真相が記録されたビデオテープがアルストグランのどこかで保管されているということが記されていたという。
「……」
 要するに今回の依頼は、手紙の差出人の所在を突き止め、手紙の情報が正確なものなのかどうかを調べるというものだった。
 だが、アレクサンダーはこの件には関わらない。というより、関われない。父親にダメだと言われたのだ。
『この件はどうにも怪しい。裏に何かあるかもしれない。だから、お前は手を引いてくれ』
 アレクサンダーは勿論、異を唱えた。この間はアタシに助手になれとか言ってきたくせに、それはおかしいんじゃないのか、と。けれども父親が発言を撤回することはなかった。
『アレクサンダー。お前にはまだ知らないことがあり、それにこれから先も知らなくていいことがある。多分この件はお前が知らなくていいことだ。……お前を危ない目に遭わせたくないから、言ってるんだ。父さんの言うことを偶には聞いてくれ』
 そう言った父親の目はいやに真剣で、その言葉に嘘偽りはないように思えた。だからアレクサンダーはそれ以上何もせず、口を噤んで、目を閉じて、耳を塞いだ。そして乗りかかりそうになっていた船から、静かに離れたのだ。
「事故、か」
 だが、どうにもよく分からない話だ。それに納得が出来ない。何がどうして、危ないってことになるんだ?
アレクサンダーはそんなことを思いながら、一呼吸をつく。ふぅ。吐き出された息は重たく沈み、更にアレクサンダーの気分は落ち込んでいく。
いつもの調子が出ていない。それは彼女自身が一番よく分かっていたし、傍から見ていた人間にも目に見えて分かる事実だった。
「……まっ、どうせアタシは関わらない。そう、関係ない話だ。だから何も、アタシが考え込まなくたって……――」
「どうしたの、アレックスちゃん。独り言をぶつぶつ呟いたりしちゃって、らしくないじゃないの」
 ぼーっとしていたアレクサンダーの背後にいつの間にか、つなぎ姿の女性が来ていた。彼女は動物園でもライオンとベンガルトラ、それとグリズリーを主に担任している飼育員だ。と同時に、園内の清掃アルバイトをしているアレクサンダーの監督官でもある。「あっ……」
「あっ、じゃないよ。アレックス、どうしたの? 全然、掃除が進んでない。箒も足も手も動いてないわ」
「……すみません、ぼーっとしてました」
「知ってる、ずーっと見てたから。アレックスちゃんの足元が綺麗になってもね、肝心の道がこの有様じゃ意味がないの。ほら、あんなとこにポイ捨てされたゴミが……」
 飼育員が指で差し示す先。そこにあるベンチの下には来援客が故意に捨てていったと思われる空き缶が三本も置かれている。どうして今まで気付かなかったんだ、とアレクサンダーは手に汗を握った。「い、今すぐ片付けます!」
「そんなに慌てなくてもいいわ。ウィキッドは今日、公開しない予定だし。このエリアにお客も来ないだろうから」
「……公開しない?」
 アレクサンダーはしっかりと箒掛けをしながら、飼育員の顔を見てそう訊ねる。ウィキッドというのは園の中でも一番人気のあるオスのホワイトライオンのことで、今まさにアレクサンダーが掃除をしている道の真ん前にあるこの檻の主である。
 すると、アレクサンダーの問いに飼育員はこう答えた。
「今日のウィキッドは、なんだか具合が悪そうな感じなんだ。朝ごはんの食い付きが悪かったし、うんちも普段より固くて短い。だから観衆の前には出せなさそうなのよね。今日は一日、静かな場所で様子を見るべきかなぁって。ただの便秘だったらいいんだけど……」
 ウィキッドもおじいちゃんライオンだしねぇ、と飼育員は呟くとどこかへ行ってしまう。そんな飼育員の背中を見送りつつ、アレクサンダーは心の中で、先ほどの独り言が全部聞かれていませんようにと願っていた。





「……あのさ」
 ウィキッドは便秘だった。それも獣医が浣腸したことで解決した。
 そんな一つの不安が取り払われ、ほっとした気分でアレクサンダーは家に帰ってきた……――のだが。
「アレクサンダー。いいから聞いて。あなたが何であろうが、母さんは決してあなたのことを」
「だから、誤解なんだって。別にそんなのじゃないし、何でもないから、本当に。ユニはただの友人。本当に、それだけ」
「本当に、本当に本当なの?」
「だから、そうだって言ってるじゃん。母さんまで、親父みたいなふざけたこと言い出さないでよ……」
 家に帰ってきてみれば、また別の問題にアレクサンダーは直面した。どうやら両親は、真面目にアレクサンダーのことを、そしてユニとの関係を誤解しているようなのだ。
「アレクサンダー。あなた、ティーンエイジャーなのよ。普通のティーンエイジャーなら、恋の一つや二つくらいするものでしょ? 大方の人は、異性に恋心を抱くものだけど、ほら、居るでしょ。同性を好きになっちゃう子だって」
「なら、アタシが普通の恋するティーンエイジャーじゃないってだけだよ。第一、皆がみんな必ず十代で恋愛を経験するとは限らなッ……――」
「だって今まで、あなたに女の子の友達が出来たことなんて無かったじゃないない!」
「ああ、確かに居なかったよ。でも、どうしてそういう理解になるんだよ?!」
「だって、だって!」
「だーかーらぁ、違うって言ってるだろ!!」
 帰って来てみればこの通り、母親から謎の尋問をされる羽目になっていた。
 というのもアレクサンダーには今まで、同性の友人というものが居た(ためし)がないのだ。それこそ、幼少のころからずっと。一緒に遊ぶのも、一緒にどこかへ出かけるのも、一緒になにか駄弁るのも、いつも同世代の男の友達……というより、ニールしか居なかった。そもそも、彼女には友人がニールしかいなかったのだ。
 そして、それはニールも同様。ニールも多分、同性の友人も居なければ、異性の友人もアレクサンダーしかいない。なぜならニールは常に食べ物のことしか考えておらず、他の多くのことに関心を抱いていない人間だからだ。……たぶん。
「とにかくユニは、ユニだけは例外なんだ。あの、その、まあ、ユニの双子の片割れの件で色々とあってだな……」
「でもユニちゃんって子、お父さんも言ってたけど随分と可愛らしい子なんでしょう。本当にあなたの友達なのかって疑いたくなるくらいには、女の子らしいって聞いたけど」
「ただの友達。断じてそんなものじゃない。普通の友達。分かる?」
「素直じゃないわね、もう」
 虚実を必死に認めさせようとする母親に対して、アレクサンダーは侮蔑の眼差しを送る。たった一人、同性の友人が増えただけで、両親はこの有様だ。アレクサンダーにはもう、両親に向ける言葉が無かった。
 一体、両親は自分のことを何だと思ってるんだ? そんな疑問しか、今のアレクサンダーの頭には浮かばなかった。
「やぁだ、アレクサンダー。そんな目で見ないでよ」
「だって、さっきから……」
「じゃあ訊くけど。アレクサンダー、あなたには好きな人っていうのが居るの? 家族だから好き、友達として好き、っていうのは無しよ」
 そんな唐突すぎる母親の質問に、アレクサンダーはたじろぐ。ふざけているようにも聞こえる質問だが、そう訊いてきた母親の顔は真剣そのものだった。
「……えっと、その……」
 アレクサンダー・コルト。現在、十七歳。恋やら何やらといったことに現を抜かしたことなど今まで一度も無かった。そういうことに無関心だったのだ。
「まさか、居ないの?」
 そもそも他人というものに、アレクサンダーは関心が無かったのだ。人付き合いもあまり好きではなかったし、コミュニケーションが必ず求められる集団に加わることを何より嫌ってきた。だから仲間を作ることはなかったし、求めることもなかったし、求められることもなかった。
 だからこそ、とても自由だったのだ。余計な(しがらみ)に縛られることもなく、深い付き合いをしないからこそ誰かに好かれることもなく、また誰を嫌うこともなかった。そんな自由を、アレクサンダーは何よりも愛していた。
「……」
 アレクサンダーにとって、全ての人間はあくまで他人だった。それ以上にはなり得ず、誰かを嫌うこともなく、また好くこともなかった。
 仮に、誰かに興味を持ってしまったとして。きっとそれは、自分を縛る足枷になるだろう。アレクサンダーはそう考えるのだ。できれば誰かの傍からは離れたくないとか、または誰かには絶対に近寄りたくないとか、とにかく自分の行動の軸に“誰か”がきてしまうことが嫌なのだ。自分でない他の誰かに、自分の行動が左右される。そんなことを考えるだけで、背筋が震えてしまう。
 そんな生活はすごく窮屈で、きっと味気ない。誰かが居ないと成り立たない、一人になったら何も出来なくなる。そんな、そんな人生なんて、とても考えられない。
 ……少なくともアレクサンダーは、そう思っていた。そして、だからこそ彼女は言う。
「アタシは、全部を等しく扱う。だから、その中から一つだけを選べだなんて、とてもじゃないけど出来ないよ」
「……うん?」
「みんなに興味がない。それでいいじゃん。一人だけを愛さなきゃいけない意味が分からないし、理解出来ない。したくもないね」
 そんなアレクサンダーの答えに、母親はムッと顔を強張らせる。その顔は、自分の考えを真っ向から否定されたことに対する嫌悪感というより、アレクサンダーの発言に違和感を覚え、相手を疑いにかかっているというような表情だ。
 アレクサンダーを見つめる母親の目は鋭く、アレクサンダーの少しだけ歪んでいる心を見澄ましているようでもある。そんな母親の威圧に、アレクサンダーは思わず一歩後退ってしまった。
「……まっ、そういうことにしておきましょうかね」
 やっぱ変わってるわ、あんた。そう呟いた母親は、やはりアレクサンダーの目をじっと見つめていた。


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