EQPのセオリー

01

 時は西暦四二六一年。『空中要塞アルストグラン』こと、アルストグラン連邦共和国。かつての名をオーストラリアといったその大陸は、今や高度一五〇〇メートルほどの空を漂う空中都市(エアロポリス)となっていた。
 海路からは侵入不可能で、空路からの侵入も難しい。そんな性質から、気付けば要塞とさえ呼ばれるようになったアルストグラン連邦共和国。この国を支えているのが大型で永久機関のエンジン……――だとされていた。そして永久機関の大型エンジンは、未知のエネルギー物質によって可能となったと伝えられている。
 大型エンジンを動かす動力源は、まだ未解明な部分が多く残されているエネルギー物質『アバロセレン』。ここ二、三〇年ほどの歴史しかないその物質であり、そもそも『物質なのか光子なのか、はたまた全く別の存在なのか』ということも明らかになっていないのだが。しかしそれは今やアルストグランのエネルギーの全てを賄っている状況だ。電力を生むタービンを動かしているのはアバロセレンであり、車や飛行機を動かすエンジンの動力源にもなっている。そしてアバロセレンは核爆弾以上の威力を持つ兵器にもなり得るとも言われていた。アバロセレンという存在の性質は全くと言っていいほど解明されていない状態ではあるのだが、それが何に使えるのかは分かっていたのだ。
 謎めいた恐ろしい存在であるアバロセレンは、しかし全ての夢を叶えてくれるであろう素晴らしい代物でもある。少なくとも、アルストグラン連邦共和国に住まう多くの者はそう考えていた。
 しかし、アバロセレンがもたらす恩恵はそれを使用することにより発生するリスクとはとても釣り合っていないらしい。原子力発電に用いられるウランよりもタチが悪いと、高名な学者であるペルモンド・バルロッツィ氏は過去に述べているとか、なんとか。
 事実、アバロセレンを用いた発電所は他国でとんでもない事故を引き起こしていた。たしか、あれは彼是一〇年ほど前の話。何らかの理由によって暴走したアバロセレンのエネルギーが、北米合衆国の州ひとつを丸ごと消し飛ばしている。
 とはいえあれは他国の話だし、過去のことだ。
 アルストグラン連邦共和国に住まう多くの国民は、こう信じている。今は技術も進歩して安全になっているに違いない、と。政府のプロパガンダが狙ったとおりに浸透した結果だろう。実際には当時と何も状況は変わっておらず、技術も進歩らしい進歩はしていないし。なんなら、なぜ北米合衆国であのような事故が発生したのか、その理由さえも解明されていないのだが。
「だからなぁ、アレクサンダー。少しは話を聞いてくれ」
 そういうわけで、秩序の根幹をなすインフラストラクチャーの全てをすっかりアバロセレンに頼りきっているのが、現在のアルストグラン連邦共和国の様相である。その影響により生活水準は幾分か上昇したものの、貧富の格差は如実に開き、社会秩序のほうは年々不安定さが増してきている。収入を得ようにも働き口がない貧困層における犯罪率の上昇、富裕層の子息子女を狙う誘拐事件の発生など、目下の課題は山積みになっていた。
 とはいえ、それも社会が持つ一面に過ぎない。――この男は、それをよく知っている。
「アレックス、頼む! ちょっとだけでいい、父さんの話を聞いてくれ!」
 場所は首都特別地域キャンベラ、その郊外。相対的貧困に属する家庭が多く密集している住宅街地域の一角。そこに探偵事務所を構える男が居た。
 彼の名前はダグラス・コルト。探偵兼パパラッチを営む変わり者の男である。そんな彼には、お世辞にも可愛いとはいえない一人娘がいた。
「人間の汚いところをわざわざ調べるような仕事なんざ、まっぴらごめんだね。猫探しなら手伝ってやるけど、パパラッチも浮気調査もごめんだよ」
 人は嫌いだが獣は大好きで、将来の夢は獣医になること。口も悪けりゃ、言動も乱暴で粗忽。適当に後ろで結っただけの長い金色の髪は、ろくに手入れをされていないせいでクルクルとうねり放題。そしてギョロッとした鋭い三白眼に光る緑色の瞳は威圧的であり、お世辞にも目付きがいいとは言えない。また、彼女のお気に入りでありよく着ている赤のレザージャケットは、母親からのお下がりであり、そして男物のジャケットである。そんなこんなで女らしいとは決していえない娘の名は、アレクサンダー・コルトといった。
 女であるにも関わらず、なぜ彼女の名前は女性名のアレクサンドラやアレクシスなどではなく、男性名であるアレクサンダーであるのか。それは彼女の父親であるダグラスが、まだ彼女が母親のお(なか)の中にいた頃から「名前はアレクサンダーだ」と一方的に決めていたことにある。産まれてくる子供は絶対に男だと、父親であるダグラスは謎の確信を抱いていたのだ。結果的に産まれてきたのは女児だったが(ちなみに彼女の母親も、同じような理由で男性名を持つ女性となっている)。男らしい名前の影響か、彼女はこうまでも逞しく男勝りな性格に育ってしまっている。
 そんな彼女、アレクサンダーが、この物語の主人公である。
「頼むから、アレックス! 今日、放課後の一時間だけでいい! 依頼人の夫を見張っていて欲しいんだ。父さんは別の件があって、人に会わないといけない。だから――」
「だーかーら、アタシは嫌だって言ってンだよ! お断りだね、絶対に!! 近所のガキに小銭でも渡して、代わりに見張ってもらったらどうだ?」
 今日も早速、朝っぱらからコルト探偵事務所には父と娘の大声だけが轟いている。これは毎朝のように、ここでみられる光景だ。
 アレクサンダーは高校に向かう前に、必ずこの事務所を訪ねる。母親から託された父親の朝食を届けるためにだ。
 色々と事情が積み重なり、アレクサンダーの両親は現在別居中。母親イーリャとアレクサンダーは自宅に暮らしており、父親ダグラスだけがこの事務所に寝泊りをしていた。しかし別居中とはいえ情はあるらしい母親イーリャは、こうして毎朝別居中の夫のために朝食は用意している。そして朝食の配達を頼まれるのが娘であるアレクサンダーなのだ。
 しかしアレクサンダーはこの配達業務を煩わしいと感じていた。何故なら、こうして父親と会うたびに引き留められるからである。放課後に父さんの仕事を手伝ってくれ、探偵のスキルを仕込んでやるから、と。今日も今日とて父親は懲りずに、アレクサンダーを探偵業に勧誘しようとしていた。
「アレクサンダー。お前には十分に、探偵に必要な素養が備わっている。お前じゃなきゃダメなんだ」
「どんな素養だよ、それ……」
「洞察力、推理力、しつこいまでの調査と、めげない鋼鉄のハートだ! 今までだって、お父さんの仕事を手伝ってくれたじゃないか、アレクサンダー。正式に助手になってくれと言っているんだよ。給料だって出す。小遣いだと言っているワケじゃないんだぞ」
「興味ないって言ってんだろ」
「……!!」
「有名人を追っかけ回すパパラッチはやりたくない。浮気調査のための張り込みなんてもっと嫌だ。だったら他のアルバイトを探すよ。そっちのほうがよっぽどいい」
 アレクサンダーがどうしてこうまでも探偵業、というよりも父親の仕事に協力したがらないのか。それは『品性がない』という言葉で全てが片付く。
 アレクサンダー自身は、別に探偵業そのものが嫌いなわけではないのだ。人のために頑張るという使命感で働ける。逃げた猫を探して保護する仕事や、遺失物探しは好きだ。そういった仕事なら積極的に手伝ってやってもいいとさえ思っている。依頼主の喜ぶ顔が見られるからだ。
 だが、そういった仕事が入ってくるのは稀だ。父親が請け負う依頼のほとんどは浮気調査。これは調査が上手くいった場合ほど、依頼主が泣くことが多い。
 また父親は仕事がない期間に副業をやるのだが、その副業がパパラッチなのだ。嫌がる人間をつけ回し、そうして撮った写真をゴシップ誌の編集部に売りつける、そういう仕事である。卑劣にしてプライバシーの欠片などへったくれもない最低最悪の仕事だ。それを父親は時としてやるし、その手伝いをアレクサンダーにさせようとすることがあるのだ。
 浮気調査にパパラッチ。そんなのを手伝えだって? 答えはノーだ。
「つーか……――高校生にオトナの情事を見張れってさ、どういう神経してんだよ、マジで。気持ち悪すぎる」
「ホテルの入り口で待つだけだろ?」
「気持ち悪い。嫌だね」
「待て。どこに行くんだ、アレクサンダー!」
「どこって、学校だよ。アタシ、まだ高校に通う学生なんだよね。そこをお忘れずに」
「今日は休日だろ?!」
「今日は月曜日だよ。休日は昨日で終わってる」
 アレクサンダーはソファーの上に投げ捨てていたバックパックを背負うと、振り向き様に父親へ中指を突き立て、探偵事務所のドアを乱暴に開け放つと大急ぎで駆けて行く。
 このままじゃ、約束の待ち合わせ時間に遅れるかもしれない。――アレクサンダーは左手首につけた腕時計で時刻を確認しながら、ひどくうねった金色の髪を振り乱しつつ、待ち合わせ場所へと急いで向かった。





「十五分の遅刻だな、アレックス」
 アレクサンダーが待ち合わせ場所にようやく辿り着いたとき、そこには既に友人──蛍光オレンジのバックパックを背負い、ブルネットの頭に赤いバンダナを巻いている青年──ニール・アーチャーがうんざりとした顔で立っていた。
 ニールはアレクサンダーの幼馴染。物心が付くより前から一緒にいる友人だ。小学校、中学校、高校と同じ学校に通っていて、ずいぶんと気心の知れた間柄である。
 アレクサンダーは待ちくたびれた様子のニールに「ごめん」と一言謝りを入れると、来た道を睨み据えてこう言った。「野暮用で遅れた」
「またダグラスさんと喧嘩したのか?」
「……まっ、そういうとこだよ」
「飽きねぇよな。お前も、お前の親父さんも」
 ニールはそう笑い飛ばすと、アレクサンダーの肩をバシンと叩く。遅刻に関しては特に深く怒っているわけじゃぁない、という一種の意思表示のようなものだ。
「まあ、でも、急がねぇとバスに間に合わないぜ?」
 ニールはアレクサンダーが左腕にはめている腕時計を見ながら、呑気な声でそう言う。すると彼はアレクサンダーを置いて一人走り出した。
「待てって、ニール! 置いていくな!!」
 アレクサンダーもニールを追って走り出す。最寄りのバス停へと彼女も急いで向かった。
 そうして走ること三分。息も絶え絶えの状態で二人はバス停に辿り着いた。ごったがえす学生を二人は掻き分けて進み、どうにかこうにかで最終便のバスに乗り込むことが出来た。二人並んで吊革に掴まって立つと、二人は顔を見合わせてニッと笑い合う。今日は運が良かった、と。
 そうしてアレクサンダーらがバスの中で喜ぶ一方で、バス停には今日もまた最終便のバスに乗り損ねたがゆえに肩を落とす者たちがずらりと並んでいる。しかしバスは彼らを無情にも置き去りして、発進していった。
「……」
 これはアレクサンダーにとっても見慣れた光景だった。学校行きのバスはどの便でも取り合いになる。アレクサンダーらの住まう地域はファミリー層が多いこともあり、特に競争率が高かった。そういうわけで、バスに乗れるのは力の強い者たちに限られる。剛腕で学生を押しのけて、人を掻き分け引き剥がし、どうにかこうにかで乗り込む、そういう行為ができる学生のみがバスに乗ることを許されるのだ。
 そして多くの学生はバスに乗り込むため必死になる。何故なら、バスに乗り損ねることは暗に遅刻を意味するからだ。
「今日も何とか無事に乗れたな、アレックス」
 ぎゅうぎゅう詰めの人の中で、ニールはホッとしたようにそう呟く。
「ああ、そうだな」
 窓に体を押し付けられながら、アレクサンダーもそう呟く。そして彼女はバス停に置き去りにされた学生たちの集団を見つめた。
 ――と、その人ごみの中。地べたに座り込む一人のアルビノの少女が彼女の目に映る。
「……」
 白い髪に白い肌、それと無情に去り往くバスを見つめる虚ろな赤い目。そんな少女の手には、踏みつぶされたかをして折れたアルミの杖が握りしめられている。
 折れた杖を器用に使い、よろよろとした足で立ち上がる少女の様子を遠巻きに見ながら、アレクサンダーはバスに乗り込んだことが後ろめたく感じた。もしかしたら自分が彼女の杖を折ってしまったのかもしれないと、そう思えたからだ。
 すると、ニールも同じ少女を見つけたのだろう。彼も窓を覗き込んでバス停を見ると、よろよろと立ち上がるアルビノの少女を指差す。彼はこんなことを言った。
「アレックス、あれが噂のユン・エルトルだよ。長いこと病気してて入院してたけど、症状が良くなったから復学したっていう。けど、なんつーか……あんまり評判がよくないらしいぜ?」
「評判がよくない?」
「詳しいことは俺も知らねぇけど。ユンちゃんって可愛いだろ。だから、他の女子のヒガミとかすごいんじゃないのかーとかって俺は予想してる。それで勝手な噂を流されて評判ガタオチ、みたいな。ほら、良くあるだろ。そのテのやつって。女子のドロドロっていう」
 ドラマの観過ぎだよ、とアレクサンダーはニールを揶揄する。けれどもアレクサンダーの視線は、まだ“ユン”という少女から離せずにいた。


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