バイトの予定も入っていなかった、その日の放課後。アレクサンダーはまっすぐ家に帰らずに、市内の国立大学病院に訪れていた。
「……流石っつーか、なんというか。でかい病院だな……」
清潔さを感じさせる白い壁は眩しくて、大理石のタイルでできた床はピカピカと輝いているように見える。そんな院内は白衣を着た医者らしき者と、患者らしき人々、それと清掃用具庫のような自立稼働ロボットが跋扈していた。
そして、正面入口から院内に入ってすぐ右手に見える受付。そこで待機する受付係は人間ではなく、青白いレーザー光で照射された3Dホログラムの巨大猫。アレクサンダーは受付に近付くと、ホログラムの受付猫に声を掛けた。
「ここに運び込まれたっていう友人を探してるんだがー……」
『申し訳ありません。そういった情報は、当院のマニュアル第一七三条四項によりお答えすることができません』
ホログラムの受付猫は、合成音声でそう受け答えする。アレクサンダーはむっと顔を顰めた。
「急ぎの用があってさ、どうしても会いたいんだよ。どこに入院してるのか、教えてもらうことは出来ないか? 白い髪に赤い目の、ユン・エルト……――」
『申し訳ありません。そういった情報は、当院のマニュアル第一七三条四項によりお答えすることができません』
けれども相手は機械、融通のきかない機械だ。いわばマニュアルそのもの。
柔軟に思考することができ、複雑な感情を理解することができたと伝えられている二十二世紀後期の人工知能とは、ワケが違う。四十三世紀の人工知能は黎明期の人工知能と対して変わらないレベル、いうなれば最低限の機能しか積まれてないポンコツも同然だ。
そこでアレクサンダーは機械相手に粘るのをやめ、代わりにあたりを見回すことにした。
周囲に職員が居ないか、それも特に気が弱そうで、押しに弱く、すぐに折れてくれるような顔をした人が居ないかを探し始めたのだ。
「……って、そんなやつが居るわけないか。それにー……」
けれども、そう簡単に見つかるわけもなく。職員は大勢居れど、どの職員も、他者の顔色を窺うことに疲れた顔をしている者ばかりだ。声を掛けることさえ躊躇われるオーラを皆一様に纏っている。
仕方ない、今日は引き上げるか。アレクサンダーがそう思いかけたとき。アレクサンダーの目の前を、ひとりの医者が通り過ぎた。
「――……ええ、はい。――……ええ、そうです。病状はあなたの仰る通りで。経過はあまり良くないと言えるでしょう。有効な治療法も見つかりそうには……え? いや、その方法では患者の体に負担が……――」
背丈は低く、ざっと百六十㎝くらい。髪の毛は快晴の青空を溶かしたかのような水色で、虹彩の色は赤。色素の薄い肌に、丸っこい童顔と大きめの眼鏡。やや大きめの白衣を着用し、誰かと通話をしながら歩くその医者に、アレクサンダーは目をつけた。
医者、いやもしくはインターン生か? アレクサンダーはそんな疑いを持ちながら、ちらりとその医者の胸元を見る。首から下げられた名札に書かれていた肩書は、脳神経科・脳神経外科。名前はアルスル・ペヴァロッサム。
「……ペヴァロッサム?」
ペヴァロッサムという奇妙な姓。しかし、それに聞き覚えがあるような気がするとアレクサンダーは感じた。そして昼間の記憶を思い出す。そういえばユニが、こんなことを言っていた。
『エリーヌからも、レーニンからも言われてるでしょう?! ペヴァロッサム先生にだって、いつ何が起こるか分からないからって……。なのにあなたは、勝手な行動ばかり! お願いだから、私の傍から離れないでよ! だって、ユンに何かあったら、私は……――!!』
もしかして、なのだが。今、目の前に居るこの医者が、ユンの主治医なのだろうか。
アレクサンダーの頭の中でそんな答えがピカーンと光るが、それもすぐに悲観的観測により否定される。
そんな奇跡がそう簡単に起こるわけがない。……はずだった。
「――……ですから。彼女の体のことを考えると、そのような危険な真似はできないと言っているのです。ユンくんの今の体力を考えれば、そのような療法は耐えられないことなど……」
おいおい、ちょっと待ってくれ。今、ユンって……。
「……ただでさえ彼女は今、無理をしているんです。それに本人も、これ以上の…………――あのですね、バルロッツィ高位技師官僚。お言葉ですが、私はあなたよりも彼女のことをよく理解しています。それに彼女は、あなたの実験台ではない。私の患者です。あなたの助言には本当に感謝しています。ですが」
「おい、あんた」
痺れをきらしたアレクサンダーは、その医者の肩をぐっと掴む。医者は驚いたような顔でアレクサンダーの顔を凝視すると、静かに通話を切った。そしてアレクサンダーは、医者に対して言った。「アンタさ、今。バルロッツィ高位技師官僚、って言っただろ。それって、あの……」
「き、君は、誰なのかな?」
「アタシは、アレクサンダー・コルト。ユンとユニの友人だ」
「コルト? ……もしやダグラス・コルトの娘ッ!?」
アレクサンダーが名乗ると、その医者は露骨に狼狽える。すると、その医者は天を仰いた。それからこんなことを呟く。
「……あぁ、神よ。私は、なんてことを……」
*
「なぁ、親父」
「お前に話すことは何もないぞ、アレクサンダー」
父親は睨むように、古い新聞の切り抜きが貼り付けられたスクラップブックを見つめている。アレクサンダーはそんな父親に声を掛けてみたが、特にこれといった言葉は返ってこなかった。
近頃の父親は、あの依頼に関する情報を頑なに話そうとしない。調査が進めば進むだけ、口が重くなっているのだ。それに目の下に隈もできているし、体重も落ち、げっそりと痩せたような気がしなくもない。
以前の父親はもう少し体格が良くて、どちらかといえばガッチリ、ムッチリしているような、中肉中背というタイプだった。けれども、今の父親はどうだろう。顔に関して言えば頬骨がその存在をやたら主張しているように見えるし、お腹まわりに関して言えば、ぽっこりしていた脂肪が少し引っ込んだ印象を受ける。減量に成功した、といえば聞こえはいいが、その痩せ方は健康的なものとは到底思えなかった。
「あの依頼のことじゃないってば。その、あの、うーんと……」
「なんだ、アレクサンダー。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃないか」
「まあ、その、なんていうか。この間、母さんにも同じことを訊かれたから、改めて勘違いを正しておこうと思ってさ」
「勘違い?」
深刻な相談をしたいと望む心とは裏腹に、口からはどうでもいいことが吐き出される。勘違いとやらはユニとの関係についてだが、そんなの今は、本当はどうだっていい。
本当に話したいことは全く別の場所にあるのに、どうして声に出せないんだ。アレクサンダーは、どうしようもなく情けない嘘を吐いている自分に呆れ返る。けれどもその反面、これは父親に相談すべき事柄なのかという判断をつけられずに迷っていた。
「あの、ユニのことだよ。彼女は本当に、ただのダチだ。それ以上じゃないし、なろうとも望んでないっていうことだ」
「そうか。……ふむ、母さんも同じことをお前に訊いたってわけか。へぇー……」
アレクサンダーは、一枚のメモ紙を左手に握りしめていた。
メモ紙に書かれているのは、とあるプリペイドの携帯電話に繋がる番号。その番号は病院で、ユンの主治医だという男――アルスル・ペヴァロッサムという医師――から教えられた、ペルモンド・バルロッツィ高位技師官僚の携帯電話番号だ。
けれどもペヴァロッサム医師は言っていた。彼は用心深い男だから、もうその電話番号は使っていないかもしれない。だからその番号に掛けてみたとしても、必ず彼に繋がるという保証はない、と。
それでもいいから教えてくれと威勢よく言ってみた矢先、アレクサンダーは不安になっていた。これは掛けても問題ない電話番号なのか、そもそも繋がるのか、というか仮に話が出来たとしても、あのペルモンド・バルロッツィと何を話せと?
行き当たりばったりで行動した結果、運よく得られた大きな収穫。けれども得た情報は、あまりにも大きすぎた。たかが十七歳の小娘ひとりには、手に余る代物だったのだ。
「……」
「そんなムッとした顔をするな、アレクサンダー。分かったよ、この件はこれで終わりだ。これ以上は、もう訊かないさ。悪かったよ。だから、そう怒るな」
父親はそう言いながら、アレクサンダーの頭をごつごつとした大きな手でわしっと掴んだあと、ぽんぽんと叩いた。そして、ぎゅっとアレクサンダーを抱きしめる。
そんなこんな父親に抱きしめられながら、アレクサンダーは左手にぎゅっと力を込める。握っていたメモ紙を、更に強い力で握り、ぐしゃぐしゃに丸めたのだった。
【次話へ】
「……流石っつーか、なんというか。でかい病院だな……」
清潔さを感じさせる白い壁は眩しくて、大理石のタイルでできた床はピカピカと輝いているように見える。そんな院内は白衣を着た医者らしき者と、患者らしき人々、それと清掃用具庫のような自立稼働ロボットが跋扈していた。
そして、正面入口から院内に入ってすぐ右手に見える受付。そこで待機する受付係は人間ではなく、青白いレーザー光で照射された3Dホログラムの巨大猫。アレクサンダーは受付に近付くと、ホログラムの受付猫に声を掛けた。
「ここに運び込まれたっていう友人を探してるんだがー……」
『申し訳ありません。そういった情報は、当院のマニュアル第一七三条四項によりお答えすることができません』
ホログラムの受付猫は、合成音声でそう受け答えする。アレクサンダーはむっと顔を顰めた。
「急ぎの用があってさ、どうしても会いたいんだよ。どこに入院してるのか、教えてもらうことは出来ないか? 白い髪に赤い目の、ユン・エルト……――」
『申し訳ありません。そういった情報は、当院のマニュアル第一七三条四項によりお答えすることができません』
けれども相手は機械、融通のきかない機械だ。いわばマニュアルそのもの。
柔軟に思考することができ、複雑な感情を理解することができたと伝えられている二十二世紀後期の人工知能とは、ワケが違う。四十三世紀の人工知能は黎明期の人工知能と対して変わらないレベル、いうなれば最低限の機能しか積まれてないポンコツも同然だ。
そこでアレクサンダーは機械相手に粘るのをやめ、代わりにあたりを見回すことにした。
周囲に職員が居ないか、それも特に気が弱そうで、押しに弱く、すぐに折れてくれるような顔をした人が居ないかを探し始めたのだ。
「……って、そんなやつが居るわけないか。それにー……」
けれども、そう簡単に見つかるわけもなく。職員は大勢居れど、どの職員も、他者の顔色を窺うことに疲れた顔をしている者ばかりだ。声を掛けることさえ躊躇われるオーラを皆一様に纏っている。
仕方ない、今日は引き上げるか。アレクサンダーがそう思いかけたとき。アレクサンダーの目の前を、ひとりの医者が通り過ぎた。
「――……ええ、はい。――……ええ、そうです。病状はあなたの仰る通りで。経過はあまり良くないと言えるでしょう。有効な治療法も見つかりそうには……え? いや、その方法では患者の体に負担が……――」
背丈は低く、ざっと百六十㎝くらい。髪の毛は快晴の青空を溶かしたかのような水色で、虹彩の色は赤。色素の薄い肌に、丸っこい童顔と大きめの眼鏡。やや大きめの白衣を着用し、誰かと通話をしながら歩くその医者に、アレクサンダーは目をつけた。
医者、いやもしくはインターン生か? アレクサンダーはそんな疑いを持ちながら、ちらりとその医者の胸元を見る。首から下げられた名札に書かれていた肩書は、脳神経科・脳神経外科。名前はアルスル・ペヴァロッサム。
「……ペヴァロッサム?」
ペヴァロッサムという奇妙な姓。しかし、それに聞き覚えがあるような気がするとアレクサンダーは感じた。そして昼間の記憶を思い出す。そういえばユニが、こんなことを言っていた。
『エリーヌからも、レーニンからも言われてるでしょう?! ペヴァロッサム先生にだって、いつ何が起こるか分からないからって……。なのにあなたは、勝手な行動ばかり! お願いだから、私の傍から離れないでよ! だって、ユンに何かあったら、私は……――!!』
もしかして、なのだが。今、目の前に居るこの医者が、ユンの主治医なのだろうか。
アレクサンダーの頭の中でそんな答えがピカーンと光るが、それもすぐに悲観的観測により否定される。
そんな奇跡がそう簡単に起こるわけがない。……はずだった。
「――……ですから。彼女の体のことを考えると、そのような危険な真似はできないと言っているのです。ユンくんの今の体力を考えれば、そのような療法は耐えられないことなど……」
おいおい、ちょっと待ってくれ。今、ユンって……。
「……ただでさえ彼女は今、無理をしているんです。それに本人も、これ以上の…………――あのですね、バルロッツィ高位技師官僚。お言葉ですが、私はあなたよりも彼女のことをよく理解しています。それに彼女は、あなたの実験台ではない。私の患者です。あなたの助言には本当に感謝しています。ですが」
「おい、あんた」
痺れをきらしたアレクサンダーは、その医者の肩をぐっと掴む。医者は驚いたような顔でアレクサンダーの顔を凝視すると、静かに通話を切った。そしてアレクサンダーは、医者に対して言った。「アンタさ、今。バルロッツィ高位技師官僚、って言っただろ。それって、あの……」
「き、君は、誰なのかな?」
「アタシは、アレクサンダー・コルト。ユンとユニの友人だ」
「コルト? ……もしやダグラス・コルトの娘ッ!?」
アレクサンダーが名乗ると、その医者は露骨に狼狽える。すると、その医者は天を仰いた。それからこんなことを呟く。
「……あぁ、神よ。私は、なんてことを……」
「なぁ、親父」
「お前に話すことは何もないぞ、アレクサンダー」
父親は睨むように、古い新聞の切り抜きが貼り付けられたスクラップブックを見つめている。アレクサンダーはそんな父親に声を掛けてみたが、特にこれといった言葉は返ってこなかった。
近頃の父親は、あの依頼に関する情報を頑なに話そうとしない。調査が進めば進むだけ、口が重くなっているのだ。それに目の下に隈もできているし、体重も落ち、げっそりと痩せたような気がしなくもない。
以前の父親はもう少し体格が良くて、どちらかといえばガッチリ、ムッチリしているような、中肉中背というタイプだった。けれども、今の父親はどうだろう。顔に関して言えば頬骨がその存在をやたら主張しているように見えるし、お腹まわりに関して言えば、ぽっこりしていた脂肪が少し引っ込んだ印象を受ける。減量に成功した、といえば聞こえはいいが、その痩せ方は健康的なものとは到底思えなかった。
「あの依頼のことじゃないってば。その、あの、うーんと……」
「なんだ、アレクサンダー。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃないか」
「まあ、その、なんていうか。この間、母さんにも同じことを訊かれたから、改めて勘違いを正しておこうと思ってさ」
「勘違い?」
深刻な相談をしたいと望む心とは裏腹に、口からはどうでもいいことが吐き出される。勘違いとやらはユニとの関係についてだが、そんなの今は、本当はどうだっていい。
本当に話したいことは全く別の場所にあるのに、どうして声に出せないんだ。アレクサンダーは、どうしようもなく情けない嘘を吐いている自分に呆れ返る。けれどもその反面、これは父親に相談すべき事柄なのかという判断をつけられずに迷っていた。
「あの、ユニのことだよ。彼女は本当に、ただのダチだ。それ以上じゃないし、なろうとも望んでないっていうことだ」
「そうか。……ふむ、母さんも同じことをお前に訊いたってわけか。へぇー……」
アレクサンダーは、一枚のメモ紙を左手に握りしめていた。
メモ紙に書かれているのは、とあるプリペイドの携帯電話に繋がる番号。その番号は病院で、ユンの主治医だという男――アルスル・ペヴァロッサムという医師――から教えられた、ペルモンド・バルロッツィ高位技師官僚の携帯電話番号だ。
けれどもペヴァロッサム医師は言っていた。彼は用心深い男だから、もうその電話番号は使っていないかもしれない。だからその番号に掛けてみたとしても、必ず彼に繋がるという保証はない、と。
それでもいいから教えてくれと威勢よく言ってみた矢先、アレクサンダーは不安になっていた。これは掛けても問題ない電話番号なのか、そもそも繋がるのか、というか仮に話が出来たとしても、あのペルモンド・バルロッツィと何を話せと?
行き当たりばったりで行動した結果、運よく得られた大きな収穫。けれども得た情報は、あまりにも大きすぎた。たかが十七歳の小娘ひとりには、手に余る代物だったのだ。
「……」
「そんなムッとした顔をするな、アレクサンダー。分かったよ、この件はこれで終わりだ。これ以上は、もう訊かないさ。悪かったよ。だから、そう怒るな」
父親はそう言いながら、アレクサンダーの頭をごつごつとした大きな手でわしっと掴んだあと、ぽんぽんと叩いた。そして、ぎゅっとアレクサンダーを抱きしめる。
そんなこんな父親に抱きしめられながら、アレクサンダーは左手にぎゅっと力を込める。握っていたメモ紙を、更に強い力で握り、ぐしゃぐしゃに丸めたのだった。