EQPのセオリー

05

「どうしたんだよ、アレックス。なんか最近のお前、どんよりしてて気味が悪いぞ」
 そんなことを言いながら、ニールはアレクサンダーの目の前の席に座る。それはアレクサンダーの父親が本格的に調査を始めてから一週間が経った頃の、月曜日の昼時。カフェテリアでの出来事だった。
「いや、別に。何でもないよ」
 ニールの言葉に、アレクサンダーは素っ気なく返すのみ。するとニールも素っ気ない態度を返した。「ふーん、あっそ。――ならこのコールスロー、俺が貰うわ」
「あ? ちょっと待てよ、ニール。なんでそうなるんだ?」
「俺は今、腹が減っている。けどこの弁当だけではちょっと足りない。だからコールスローが食べたい」
「……」
「だがしかし、その石のように固いフランスパンと超塩辛いオニオンコンソメスープ、それとチーズべっとべとのミートペンネに、ハムチーズサンドウィッチはいらない。理由はそれで充分じゃん?」
「お前なぁ、ふざけるにもほどがあるだろ……」
 そうしてニールはアレクサンダーの了承など得ることもなく、アレクサンダーの前に置かれていた手つかずのコールスローを取り上げる。こうして、アレクサンダーのランチは一品減ることになった。
 むぅ、と表情を曇らせるアレクサンダー。ニールはそんな彼女の顔をまじまじと見つめつつ、弁当箱の蓋を開ける。そしてニールは珍しくため息混じりに、こんなことを言った。「やっぱりお前、なんか変だ」
「何がだよ」
「だって普段なら、今頃キレてるだろ? 『なに横取りしてんだ!』とか怒鳴っててもおかしかない。つーか、普段のお前ってそーいう奴だし。だってお前、自分の物に対するこだわりが地味に強いじゃん?」
「……そうでもないと思うけど」
「だって、物の貸し借りとか大嫌いだろ?」
「そりゃ、だって貸した物が返ってくる保証はどこにもないからな」
「お前は自分の所有物を誰にも貸さないし、お前自身も誰からも借りない。だから俺もお前にはそういうのを期待してない。何かしら忘れたときは、お前じゃない他のヤツに借りる。けど、それがどうだ? 今のお前は、そういうのが無い。無関心っつーか、無頓着な感じ」
 ニールは弁当箱の蓋を空いているスペースに置くと、カフェテリアのフォークを手に取る。そしてフォークの四又に別れた先をアレクサンダーに向けると、ニールは言った。
「普段はギラついてる注意力が散漫になるくらい、今は何かに心を持っていかれてる、ってわけだよな」
「……」
「それに、そのしょげた顔。どうせ悩み事の類だろ?」
 ニールは器用にフォークを指先でくるくる回すと、今度は持ち手のほうをアレクサンダーに向ける。そしてフォークの持ち手で、アレクサンダーの額をぺちんと叩いた。
「無理に話せたぁ言わねぇけどさあ。話ぐらいはいつでも聞いてやるよー。だって俺たち、親友だろ?」
 ニールは最後にそう言うと、ニカッと笑う。そしてフォークを弁当の中に入っていたミートボールに突き刺した。対するアレクサンダーは、石のように固いパンをコンソメスープに浸しながら、ニールの話を聞いていた。
 ニール・アーチャー。長いこと友人をやっているが、よく考えが分からない人物だとアレクサンダーは常々思っていた。普段は飯のことしか口に出さないのに、時として核心を衝いている言葉を口走るからだ。それこそ今のような感じだ。
 そんなときのニールは、普段とは別人に見える。そして気付かされるのだ。意外とこいつは、周囲をよく観察しているということに。
「その気持ちだけで今は十分だよ。ありがと、ニール・アーチャー」
「めっずらしー。あのアレクサンダー・コルトが、素直になりやがった」
「アタシゃいつだって素直で正直だよ、良くも悪くも」
「よく言うぜ、強がりばっかのくせに」
 アレクサンダーは今、たしかに悩んでいる。ニールの指摘通りだ。けれども、その悩み事は気軽に他者に相談できるようなことではなかった。それは父親についての悩みだし、あの依頼についての悩みなのだから。
 父親は着々と、調査を進めているらしい。そうして謎の手紙の差出人を突きとめ、その人物の許に向かったそうだが……――当ては外れたそうだ。
 手紙の差出人は、路地裏でひっそりと今日をやりすごしているホームレスの男だった。けれども彼は、あくまで手紙を出しただけ。とある若い女性から手紙を渡され、それを郵便局から郵送するように頼まれたのだという。そうして彼は郵便物として送り出すのに必要な最低限のお金を受け取り、言われたとおり手紙を出してきたそうだ。そうして報酬として少額のお金を受け取った、というらしい。
 その老人は、手紙の内容は知らないと言っていたそうだ。中身を開封していないことは勿論、そもそも彼自身が文盲であるため、手紙を書くことはおろか読むことも出来ない、と。
 そういうわけで、次はその“若い女性”とやらを探すことになったのだが……――その手がかりとやらがとても少ないらしい。
 そのホームレスの老人は、視力があまり残されていなかった。そのうえ眼鏡など持っているはずもなく、顔はよく見えなかったと言っていたらしい。そんな老人から得られたキーワードは三つだけ。
 若かった。眼鏡をしていたような気がした。派手な黄緑色の服を着ていた。――それだけだ。だが父親は、何かに気付いたようだ。
 今日の朝食の席。父親の顔は重く沈んでいた。そのうえ父親は、独り言を頻りに呟いていた。とはいえどの独り言も声が小さく、それでいて不明瞭で、何を言っているのかまでは分からなかった。けれどもアレクサンダーは、なんだか不穏な気配を感じたのだ。
「……はぁ……」
「アレックス?」
「……あー、またやってるよ。ったく、飽きないもんだねぇ、奴らも」
 食事もそこそこに、アレクサンダーは徐に立ち上がる。そして緑色の三白眼で、なんだか騒がしくなっている場所を睨みつけた。
 カフェテリアの外、中庭のあたりだ。嫌な空気を漂わせる学生たちがそこには集まっている。それを見るなりアレクサンダーは溜息を吐いた。そんなアレクサンダーを見ながら、さながらハムスターのようにミートボールを頬の中にたくわえたニールは、もごもごとした口調で問う。「また、って何が?」
「ユニの双子の姉妹絡みの騒動じゃないのか、あれ。この間と同じ、ラグビー部の野郎どもと、チア部の背中が見えるからね」
「で、お前はどうすんの?」
「決まってるだろ。猛獣の精神、見せてやらなきゃな」





 アレクサンダーは今度こそ派手に暴れてやるつもり――……だったのだが。
「うわぁッ! 猛獣アレクサンダーが来やがった!!」
「マジかよ、クソッ!」
「逃げるしかねぇ!」
 アレクサンダーが中庭に登場するなり、すぐに学生たちは散っていった。そしてアレクサンダーの予想通り、消えた人だかりの中心には白い髪の少女――ユニの双子の片割れ、ユン――が取り残されていた。
「大丈夫か、あんた」
 アレクサンダーは白い髪の少女ユンにそう声を掛ける。すると顔を俯かせ、地べたに座り込むユンはアレクサンダーに言った。「……ごめんなさい」
「なんのことだかな。アタシゃ何もしてないよ。勝手に奴らが逃げて行っただけだ」
 アレクサンダーはそう言うと、地べたに座り込んだユンに手を差し出す。ユンはアレクサンダーの手を取るとぎこちない動作でよろよろと立ちあがった。そしてアレクサンダーは立ち上がる介助をしながら、ユンにこんなことを尋ねる。「それにしてもだ。なんでまた、こうも執拗に嫌がらせをされてんだ?」
「……分からないよ。理由が分かるなら、こんな目に遭ってない」
「そうか。そりゃ……――とんでもない災難だな」
 幸いというべきか、ユンには傷らしい傷は見当たらなかった。膝丈のジーパンと黒のハイソックスの隙間から覘く白い脚は、植林されたばかりの苗木のように細く、青紫色の血管が肌から透けて見えているくらい白い。またユンの腕は長袖のパーカーの下に隠れて見えなかったが、特に怪我をさせられたというわけではなさそうである。服にも蹴られたり、踏み付けられたような痕はない。また殴られたり、掴みかかられたような縒れも見当たらなかった。
 だとしたら、奴らは寄ってたかって何をしたんだ? ――うぅむ、とアレクサンダーはユンを見つめながら考え込む。すると、アレクサンダーの後ろから何やら騒がしい足音が聞こえてきた。
 三日月眉を吊り上げたラテン語教諭ジェーン先生が、大慌てで駆けつけてきたのだ。「アレックス、またあなたね!」
「あぁ、ジェーン先生。どうしたんです」
「どうしたもこうしたもない! ニールから聞いたわ。まったく、もう! あなたときたら、またラグビー部の男子生徒と!!」
「誓って言います、先生。何もやってないです。その前に奴らは逃げて行きました」
「……はぁー、何も起きてないなら良かったわ。ふぅ……」
 息を切らし肩を上下させながら、ジェーン先生はアレクサンダーを見た後、それからユンを見る。するとジェーン先生は「そういうことね」と呟いた。
 すると、遅れてユニとニールの二人が現場に駆け付ける。この間と似たような、でも少しだけ違う状況が、中庭で再現されることとなった。
「ユン! だから、学校に居る時は私から離れないでって言ってるでしょ!?」
 ユンに近付くユニは、白く細い両手で双子の片割れの肩をがっちりと掴む。そしてユニは怒りと焦燥感から顔を赤くし、一本の三つ編みに結われた長い髪を振り乱しながら、片割れを責めた。
 それに対してユンは顔を俯かせ、下唇をぎゅっと噛み締めているだけ。何か言葉を発するような素振りは見えず、また凍りついたように固い表情も変化することはない。けれども、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。ユニに責められ何かを感じたのか、はたまた先程なにかを言われて傷ついたのか。アレクサンダーにはそこまでの判別は付けられなかったものの、ユンという少女が何かを抱えているということには薄々勘付いていた。
 きっとそれは、心の奥底で(おり)のように溜まっている本音なのだろう。決して口から零してはいけない、外には漏らしてはいけない汚れた言葉。それを吐き出してしまったら最後、全てから拒絶されることを分かっているからこそ、己の中に溜め込んでいる暗闇のようなものだ。
「エリーヌからも、レーニンからも言われてるでしょう?! ペヴァロッサム先生にだって、いつ何が起こるか分からないからって……。なのにあなたは、勝手な行動ばかり! お願いだから、私の傍から離れないでよ! だって、ユンに何かあったら、私は……――!!」
 しかし、先に泣きだしたのは目に涙を溜めていたユンではなく、後からやってきたユニのほうだった。
 あれやこれやと双子の片割れにまくし立てているうちに、感情が昂ってしまったのだろう。ユニはその場にがくりと膝をつくと、取り乱したように大泣きをし始めた。ジェーン先生はそんなユニに駆け寄り、ユニの目から溢れ出る大粒の涙をハンカチで拭う。そしてアレクサンダーはというと、呆然とその様子を眺めることしか出来なかった。
 いや、アレクサンダーはこの双子を疑うような目で見ていた。
「……」
 ユンとユニ。この二人の外見は、よく似ていた。
 そりゃ双子だから、と言ってしまえば終わりだが、それにしても似過ぎだ。ユニのフェミニンな髪型や服装と、ユンのボーイッシュな髪型、服装は天と地ほど違うが、二人の顔は同一人物なのではないかと思うくらい、何もかもが同じだったのだ。
 一般的な一卵性双生児は、どんなに外見や内面が似ていたとしても、何かしら違う個所があるのが普通。どちらかには右目の下に黒子があるが、どちらかには無いとか。微妙に身長が違ったり、靴のサイズが違ったり……。
 けれどもユンとユニの二人に、そういった違いはない。身長もまったく同じだ。眉の形、目の大きさ、虹彩の位置、鼻の高さ、唇の厚さ、顔の輪郭、髪の分け目、旋毛(つむじ)の場所、首の太さ、肩幅、脚の長さ、その他諸々。何もかもが同じで、寸部の互いもない。体格の差異と言えば、かなり痩せているか、健康的な体つきかという点ぐらいだろう。
 それはまるで、量産されたマネキン人形のようで……。そこはかとない気味の悪さをアレクサンダーは感じざるを得なかった。
「まっ、アレックスが馬鹿を起こさなくて済んだっつーわけで。そろそろ昼の休憩時間も終わるし、これでひとまず……――」
 左腕に付けた腕時計で時刻を確認しながら、ニールが間延びした声でそう言ったときだった。バタンと何かが倒れる音がした。それと共にユニの悲鳴が上がり、ジェーン先生が叫ぶ。
「ニール、あなたは職員室に行って救急車の要請を! アレックス、あなたは保健室に行って養護の先生を呼んできて!」
 その場に倒れ込み、意識を失ったユンの傍にジェーン先生は座る。そして彼女は気を失ったユンに呼びかけを続けていた。ユニは両手で自分の顔を覆い隠し、まだ涙を見せている。ニールは職員室のある方向へ走り去り、アレクサンダーはまだ呆然と立ち竦んでいた。
 ぼうっと突っ立っているアレクサンダーに、ジェーン先生の檄が飛ぶ。何をしているの、アレックス! ジェーン先生はそう言った。
「私は生徒の監督責任がある以上、この場から動けない。だからあなたが動いてくれないと困るのよ!」
「……は、はい!!」
 正気を取り戻したアレクサンダーは、大急ぎで保健室へと向かう。けれどもそんなアレクサンダーの思考を、ふと気付いてしまった違和感が支配する。
 ――なんだかあの双子はおかしい。それに、彼女ら家族も何かが変だ。
「……全部、気のせいだったらいいんだけどな……!」


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